調査研究の現場から @モザンビーク 国立民族学博物館 松井 梓さん

人間文化研究機構では、機構のプロジェクトの推進及び若手研究者の海外における研究の機会(調査研究、国際研究集会等での発表等)を支援することを目的として、基幹研究プロジェクト・共創先導プロジェクトに参画する若手研究者を海外の大学等研究機関及び国際研究集会等に派遣しています。
今回は、モザンビークに派遣された国立民族学博物館の松井 梓(まつい あずさ)さんからの報告です。
私は、モザンビーク島という島で2017年からフィールドワークをおこなっています。モザンビーク島はモザンビーク共和国の北部、インド洋沿岸に浮かぶ小さな島で、古くからアラブ・スワヒリ地域との交易拠点として栄えました。その後、1498年にヴァスゴ・ダ・ガマが島を訪れて以降ポルトガルの植民地となり、1898年まで首都も置かれました。そうした歴史から、島には外部世界よりもたらされた豊かな文化の蓄積がこんにちまで残り、今回私が調査をおこなった金細工もそのひとつと言えます。普段は、私は滞在先の家を中心とした女性たちの近所づきあいの関係について調べているのですが、金細工に関心が生まれて今回調べるに至ったのは、滞在先の旦那さんが金細工職人であったためでした。金細工の指輪やピアス、ネックレスは、島の女性たちを美しく彩る装飾品でもあります。

植民地期から金細工職人を続けてきた、90歳に近い男性の工房を訪れると、大型の機械や小さな工具が数多く置かれていました。これらは植民地期にインドから持ち込まれたものであり、彼の“mestre”(師)はムンバイから島に来たインド人であったと彼は話します。しかし、文献を調べてみても、インドからモザンビークやその他のアフリカ東海岸地域に金細工の技術がもたらされた具体的な経緯や経路、それをもたらしたインド人の出自にかんする詳しい記述を見つけることができませんでした。以上を踏まえた今回の調査の目的は、「アフリカ東海岸への金細工技術の流入経路のひとつとみられる、20世紀におけるインド西部からの技術と機材の流入過程を検討する」ことです。


今回の調査では、島にある工房2か所が所有する工具を記録し、インド人が残したとされたものを特定しました。今後、文献調査によって、これらの道具とインドで用いられるものとを比較し、類似点や相違点を検討します。加えて、上述のmestreが旧ポルトガル領インドのディウ出身とみられること、また、彼の息子が現在リスボンで金細工職人をしていることが明らかになりました。今後、この息子に、mestreの出自や当時の金細工業について詳細に聞き取りをおこなう予定です。
なお、今回の調査は、エドゥアルド・モンドラーネ大学アフリカ地域研究センターに外来研究員として受け入れていただき実施したものです。
松井 梓(まつい あずさ)
人間文化研究機構本部 人間文化研究創発センター センター研究員
国立民族学博物館 環インド洋地域研究拠点 特任助教
専門はアフリカ地域研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科アフリカ地域研究専攻修了、2022年8月より現職。モザンビーク島という狭小な島の女性たちの近所づきあいについてフィールドワークをおこなっている。