MENU
vol08/人文知コミュニケーションの歴史を新たに紡ぐ
人文知コミュニケーションの歴史を新たに紡ぐ

新型コロナウイルス感染症が拡大するなか、私たち人文知コミュニケーターは研究者でありながら、生活者でもあるという立場から何ができるかを模索してきました。このウェブサイトは、そうした思いから生まれました。これからも身近な話題からちょっと難しい話まで、人文知コミュニケーターならではの視点で記事を発信していきます。

人文知コミュニケーションの歴史を新たに紡ぐ
澤崎賢一 人文知コミュニケーター(人間文化研究機構 総合地球環境学研究所)

 総合地球環境学研究所/人文知コミュニケーターの澤崎賢一です。毎月恒例の人間文化研究機構の6機関のコミュニケーターが集まる人文知コミュニケーター研究会での活動報告です。2023年度は、「私にとって人文知コミュニケーションとは?」というお題で、それぞれが発表を行いました。
 今回は、2023年10月23日に発表された駒居幸さん(国際日本文化研究センター)の「人文知コミュニケーターはどこから来たのか?――私の人文知コミュニケーション的経験から」について、駒居さんの発表内容を振り返りつつ、澤崎が考えたことを書きたいと思います。

*

 駒居さんの発表についてお話する前に、ところで皆さん、「人文知コミュニケーター」のことを聞いたことがあるでしょうか。実は、僕はこの職に就くまで「人文知コミュニケーター」のことを全く知りませんでした。「人文知コミュニケーションとは?」みたいな話をいきなり聞かされても、多くの人にとってはよくわからない話で、きっとおもしろくないのだろうな、と思いつつも、たぶん、こうした専門的な問いをいろんな人に関心を持ってもらえるように伝えることもまた人文知コミュニケーションなのだろうと思い直しながら、このテキストを書きはじめたところです。

 さて、今日ご紹介する駒居さんの発表内容は、まさにこの「人文知コミュニケーションとは?」という問いに関するもので、しかも、人文知コミュニケーターが生まれた国の制度的な背景にまで踏み込んだ、かなり専門的な内容だと言えるものでした。うーん、これをどうやって皆さんにも関心を持っていただけるようなかたちでお話すれば良いのだろうか、と頭をかかえるところが今日のお話の出発点です。

 とはいえ、いったん人文知コミュニケーターとはどういうお仕事なのかは説明しておきましょうか。
 現在、人間文化研究機構には、駒居さんが所属している国際日本文化研究センター、僕が所属している総合地球環境学研究所を含め、国立歴史民俗博物館、国文学研究資料館、国立国語研究所、国立民族学博物館と6つの機関があります。これらの機関に、それぞれ人文知コミュニケーターが1名ずつ、計6名所属しています。
 ざっくりキーワードを拾い上げても「歴史」「文学」「言語」「国際」「地球環境」「民族」などの違いがあるように、各機関によって仕事内容がかなり異なります。にもかかわらず、僕らは同じ「人文知コミュニケーター」と呼ばれているわけですが、われわれの間でもしばしば「人文知コミュニケーション」とは何かが議論されてもいます。

 僕自身は、探求していった研究成果を活かして、専門分野、文化や宗教、世代や性別を問わず、色んな人たちと多様なコミュニケーションを取ることが大事だとは思っていますが、実はそれほど「人文知コミュニケーション/コミュニケーター」といった制度的な話に関心はありません。(と、はっきり言い過ぎると怒られるかもしれませんが)こんな感じで、僕ら人文知コミュニケーターのあいだでも関心はさまざまで、「人文知コミュニケーション」という言葉の定義もモヤモヤしたままです。

 駒居さんは、このモヤモヤをどうにかしたいという強い思いがあって、大胆にも、モヤモヤの原因は日本の科学技術政策を背景とした歴史や制度にあるのではないか、と考えました。そして、こうした関心を持つようになった背景には、彼女のこれまでの研究職だけにとどまらない多様な経験があったそうです。
 補足しておくと、人文知コミュニケーターに色んなバックグランドを持っている人が多い点は、もともと研究職とは関わりのない現代美術とか映画に関わってきた僕も含めて、人文知コミュニケーターの特徴のひとつだと思います。

 駒居さんは、現在、桐野夏生(1951年-)という小説家の研究を行っています。桐野は、1990年代に本格デビューした作家で、駒居さんは「失われた時代」を境とした日本の社会構造の変化の中で、女性たちの労働や生き様がどう描かれてきたのかを研究しています。そんな駒居さんですが、桐野研究についてはサラッと横流しにしつつ、人文知コミュニケーションとは何かについて考えたことを発表していきました。

 人文知コミュニケーターの職に就く前、駒居さんは、大学院の修士課程を修了後に民間企業に務めたり、博士号取得後にURA(リサーチ・アドミニストレーター)を経験したりしながら、自分の研究外の人たちや、異なる分野の人たちを繋ぐ仕事をしてきました。なかでも、日本の科学技術政策の制度への関心が生まれたのは、新潟大学でのURAの経験が大きかったそうです。ちなみにURAとは、駒居さんの言葉を借りると「研究者・職員と連携しながら、大学全体の研究を活性化させる仕事」です。

 さて、ここから駒居さんは、URAのお仕事を通じて、同じ「研究者」と呼ばれている人たちでも理系・文系の研究者のあいだで考え方の違いがあること、彼ら・彼女ら異分野間のあいだを繋ぐようなお仕事に関わってきたこと、大学の大きな助成金申請に関わったことをきっかけに1990年代から現在に至るまでの科学技術と社会をめぐる政策のあゆみを考察したこと、などについてまとめながら、「共創」「総合知」「文理融合」などを推進するために人文知コミュニケーターが人文系サイエンスコミュニケーターとして生まれた歴史・経緯について整理していました。ちなみに、サイエンスコミュニケーターとは、専門的で難しい科学者の研究内容を、わかりやすく一般に伝える人のことです。

 で、ここから駒居さんは、人文知コミュニケーターが生まれた歴史・経緯については整理して説明できるにも関わらず、いま在籍している人文知コミュニケーターたちは、そのような歴史・経緯について詳しくはないし(僕も初めて知ったお話でした)、こうした制度が生まれたきっかけである「共創」「総合知」「文理融合」を推し進めるためだけに現在の人文知コミュニケーション的な活動をしているわけでもない、と言います。だから、その成り立ちとは全然違う文脈で、僕ら人文知コミュニケーターは、こうして研究会で集まって話をしている。さらには、人間文化研究機構としても、人文知コミュニケーターの制度を見直していこうとしている最中でもある。そんな状況なので、言葉の定義もモヤモヤしたままです。

 でも、駒居さんが強調するのは、サイエンスコミュニケーターの歴史の延長線上だけで人文知コミュニケーターを考えるのではなく、現時点で人文知コミュニケーション的な活動をしている僕らの取り組みを振り返ってみて、人文知コミュニケーションの歴史を新たに考えていくべきなんじゃないか、という問いですね。

 僕はふだん、アーティスト/映像作家として、自分自身の世界観が問い直されることで生まれる「世界の新しい見方」を提示すること=芸術作品を作ること、だと考えているのですが、この点からも、駒居さんの自分たち自身の歴史の紡ぎ方について語ろうとする姿勢は、とても大事なことなんじゃないかと感じました。

 それからもう一点、駒居さんの制度や歴史を含めた観点は、人文知コミュニケーターの中でも他のコミュニケーターにはない観点であることも大事なポイントだと思います。研究なのか社会実践なのか、何なのか、よくわからない部分も含めて、色んな活動を行っている僕らの取り組みについて、いったん「人文知コミュニケーション」という額縁を嵌めて眺めてみようとしたときに見えてくるかもしれない「世界の新しい見方」とは、どんなものなのか。

 今回、大事なこととして僕が皆さんに伝えたいことは、自分たち自身の歴史の紡ぎ方を考えるために、何かを探求しているまさにその実践の現場で感じ、考えたことをしっかりと振り返り、議論していくことが大事なんじゃないか、ということです。その現場が、まさに人文知コミュニケーター研究会なのではないか、と考えるに至ったのが、今回僕が駒居さんの発表を受けてこうしてテキストを書いた成果だとも言えます。僕ら人文知コミュニケーターがやろうとしていることの意義は、こうした気付きを皆さんに提示できるところにあるのではないでしょうか。

Copyright (C) 2023 National Institutes for the Humanities. All Rights Reserved.
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構