「有的人愛中国、有的人恨中国、我尊敬中国」(中国を好きな人も、嫌いな人もいるが、私は中国を尊敬する)。これはハーバード大学で1955 年から87年まで中国政治思想を講義して、1999年に逝去されたベンジャミン・シュウォルツ教授のことばです。昨年(2006年)12月に上海華東師範大学で開かれた「シュウォルツと中国―ベンジャミン・シュウォルツ教授生誕90周年記念国際学術会議」の開会式で映し出されたヴィデオ映像の中で、シュウォルツ教授の中国研究を象徴することばとして紹介されました。
シュウォルツ教授は中国を訪れたことがほとんどありません。中国研究者としてのベンジャミン・シュウォルツの名を一躍世界に知らしめたのは、1952年出版の Chinese Communism and the Rise of Mao, Harvard University Pressでした。これは、疑いもなく、冷戦時代の米中関係のなかで、敵国中国を徹底的に研究しようとしていた米国の中国地域研究 (area studies) の産物です。米国が国を挙げて集めた共産中国に関する資料を用いた、外からの研究の成果でした。ただし、イデオロギーの予断を排して、中国でなぜ毛沢東が共産主義革命に成功したのかを徹底的に追究した研究であったために、共産主義中国に関する最高の研究として世界的に評価されました。
シュウォルツ教授が次の研究成果として世に問うたのは、In Search of Wealth and Power: Yen Fu and the West, Harvard University Press, 1964でした。これは、若き日に清末の中国からイギリスに2年間留学した厳復という知識人が、中国の近代化のために、近代西洋の政治経済思想を受け入れようとした文化触変の格闘を扱ったものです。厳復がハーバート・スペンサーの社会進化論やアダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミルなどの思想をどのように変容させながら翻訳紹介したか、それを詳細に分析しています。その結果、シュウォルツ教授は近代西洋の隠された特質を逆照射することにも成功したと高く評価されました。
伝統中国の末期を考察した第2作が出版された頃、シュウォルツ教授はすでに古代中国の思想を講義していました。その後の長年の探究はThe World of Thought in Ancient China, Harvard University Press, 1985に結実しました。他にも多くの著作がありますが、主として以上3つの大著をもって、シュウォルツ教授は今や中国の研究者から高く評価され、尊敬されるにいたりました。中国に迎え入れられたのです。
どうしてそういうことになったのでしょうか。もちろん、最近の中国社会の大きな変化が原因の一つに違いありませんが、一人の中国研究者の思想と人柄に も理由があると思います。シュウォルツ教授は、文化はそれぞれに特殊であると同時に、それぞれに多面的で、普遍的な人間性の領域を基底に有する、人間経験の巨大な領域であると考えていました。そして、それを探究することで「一定程度の自己超越も可能になる」としていました。対象を徹底的に考え抜くことで、理解に到達しようとしたのです。ある時、学生たちが先生にお祝いのTシャツをプレゼントしました。先生が着てみると、胸には “On one hand” とプリントしてありました。先生が後ろを向くと、背中には“On the other hand”とあります。この二つが、考える先生の口癖だったのです。すると、先生は「でも“On the third hand” もある」といわれたそうです。上海の会議に多勢やってきたアメリカの中国研究の強者たちが、「ベンは modest man だった。どうしてあんな人がアメリカ社会で生き残ったのだろう」としきりにいっていましたが、そういう人だからこそ中国を徹底的に理解しようとしたのだろうと思いました。
半世紀を振り返ってみると、中国と米国の間の学術交流は大きく変わりました。今や、人々が自由に国境を越えて行き来し、地域研究の対象だった地域の人々が自ら自国を研究するようになっています。中国研究をはじめとする地域研究は大きく変わろうとしています。しかし、研究者の心構えは変わらないでしょう。
(平成19年4月17日掲載)
※著者の肩書きは掲載時のもの