平成20年3月10日に「人間文化研究資源共有化一般公開記念フォーラム」が開催されました。このフォーラムは、4月からの一般公開を前にして、人間文化研究機構が平成18年度から進めてきた研究資源共有化事業のひとつの節目として開かれたものです。フォーラムでは、国立国会図書館の長尾真館長の基調講演「ディジタル時代における教育研究資源のあり方」のほか、この3年の間に開発された研究資源共有化システムについて報告がなされました。
この事業のなかで私が開発を担当したのは、nihuONEとよばれている研究支援機能を強化したデータベース・システムでした。ハードウェアの選定やシステムの機能について検討しているなかで実感したことは、コンピュータのハードウェアやソフトウェアのすさまじいまでの技術革新です。
私がコンピュータというものに最初に触れたのは、いまから40年近く前の国際基督教大学に勤務していた昭和45年のことでした。それはIBM1130というコンピュータで、昭和40年にIBM社から発表されたものでした。最初に使ったコンピュータということもあるかもしれませんが、いまもってこれまで使ったコンピュータのなかでIBM1130がなによりも優れたコンピュータではないかと思ってます。世界中にファンがいるらしく、IBM1130専用のホームページも作られています。
当時使用したIBM1130のメモリ容量は32KBで、ディスクは1.2MBの容量のものが3個接続されており合計で3.6MBでした。いま私の机の上にはメモリ4GB、ディスクは400GBを超えたパソコンがあります。単純に比較してもメモリは12万倍以上、ディスクは10万倍以上になります。これらの数字を見ていると、確かに40年前にはやりたくてもできなかった日本語処理やGIS(Geographical Information System:地理情報システム)、マルチメディアへの対応が手軽に、しかも個人ベースで可能になっており、その進歩のすさまじさを改めて認識させられます。
しかしながら、そのようなコンピュータを使った研究が、それだけ進んだかというと、どうも素直にうなづけないところがあります。この素直にうなづけないというのは、情報技術の進歩のスピードです。すなわち、このような言い方が適切かどうは分かりませんが、「今の情報技術革新のスピードは、人が対応できる、あるいは調和できる限界を超えているのではないか」ということです。昨年はWindows Vista旋風が吹き荒れましたが、新しい技術革新に合わせて、情報環境を整備するのに、研究者は四苦八苦、右往左往しているのが現状ではないのか。そんな気がしてなりません。
情報環境を整備するのに忙しく、肝心の研究がおろそかになっているのではないか。こんなソフトがあれば、あんなハードがあれば自分の研究は格段に進むと、まず道具づくりに専念し、研究そのものは後回しになってしまっているのではないか。と感じているのは私だけではないと思っているのですが...
人間文化研究機構研究資源共有化シンポジウムの様子
確かに最新の技術を取り込んだ道具作りは重要ですが、道具作りばかりが見えて、その道具で何を作るのか、あるいは何が作れたのかが、いつまでたっても見えてこないのでは困ります。研究にとって重要なのは、道具作りではなくその先にあるものではないでしょうか。そして、その先にあるものというのは、必ずしも新しい技術がなければ得られないというものでもないだろうと思っています。
昨年のことになりますが、授業のなかでデータベースについて講義をするときに、私自身が卒論を書くときに使った資料を使用しました。そのなかに今であれば当然データベースにしたであろう考古資料に関するカード類が1,000枚くらいあり、もしデータベース化していたら、当時やりたかった多変量解析なども簡単にできたのにと思ったりしました。しかし、一方それができたとしても卒論の質が必ずしも高まったわけではないだろうとも思いました。つまり「データベースや革新的なハードやソフトといった技術を使いこなす創造力、発想力そして独創性がなければ、それらのデータベースや技術は無用の長物になりかねない」と。
研究資源共有化システムも単なる道具に過ぎず、この道具が何かを生み出すわけではありません。研究資源共有化システムを知的生産の道具として活用することによって、はじめて何かが生まれてくるのです。多くの研究者がこの便利な道具を使うことを期待しています。
(平成20年4月17日掲載)