「為の果て」とは、広辞苑によれば「零落したきわみ」とか「おちぶれた結果」という意味であり、「ナレノハテ」と読むようだ。
フィールドワークとは、達磨大師の面壁九年のように自己の内面と対話して、人生について哲学することではなくて、頭の悪い分「人様の生き方」や「自然と人の関係性」なりをアチコチ見たり、聞いたり、食べたりする経験によって「人間とは」という難問がわかったような気になる方法である。
若いうちは何せ体力、気力、知力の順番に構成されている人間であったので、まったく問題はなかった。旅こそが読書経験と同じであり、調査こそが人間研究における実験的方法であると思ってウロウロしてきた。では体力と気力が頼りのフィールドワーカーが、老いた時はどのような末路になるのか。しきりにこんなことが頭をよぎるような年齢になってきた。
まさか「旅に病んで」というわけにもいくまい。せいぜい金子兜太流の定住漂泊である。けれども、だいたい、こうしたことは状態が悪化するまではなんとかなるさと高をくくることになっている。ひとつだけ言えることは、旅がどうやら吟行と称するものに変わり、フィールドノートがいつのまにやら表紙に俳文日誌などと書かれているようになったことである。
次のことは昨年9月に北上山地を歩いたときの、帰宅後の私の俳文日誌の一部である。
「2008年9月25日(木)から28日(日)まで北上山地を歩いた。東北学園大学の岡恵介さんのフィールドである岩泉町安家大坂本を案内してもらい、彼の紹介でアッカジデイコをもらった。アッカジデイコとは安家の地大根という言い方が訛ったのであろう。大坂本の人によれば辛み大根だという。大根の表面は赤紫である。大根をすりおろすために皮を少し剥いてもこの赤みは少々残る。
帰って食べるときに辛み大根だから「身にしみて大根からし秋の風」だねと言ったら、「フーンあなたの句、あまりいいとは思わない」と言われた。「エッ、これ芭蕉の句だぜ」と言ったら「芭蕉だから、たいした句だというわけ」と桑原武夫の「第二芸術論」みたいなことを言っている。すりおろしても赤みが残っているのでピンクの大根おろしが入れ物の白い皿に映えて少々趣がある。確かに相当の辛さである。
芭蕉の句は『更科紀行』のときのものだから、芭蕉はおそらく辛み大根のおろしで、信州蕎麦を食べたにちがいない。中村俊定校注の岩波文庫『芭蕉紀行文集』の「更科紀行」の脚注には「『句選年考』に「彼の地からみ大根と世俗にいふあり、其形小さくして気味至ってからし」とある」となっている。アッカジデイコも普通の大根の半分くらいの長さで先が急に細くなり芭蕉が食べたと思われる大根と同じような形態であろう。
昨年の11月であったと思うがやはりこの安家を訪れている。そのとき夕方であったが、アッカジデイコは収穫されていて、冬を越すため畑の一角に穴を掘り埋められて保存されていた。爺さんが掘りだしてみせてくれた。相当寒くなっていて、夕方から雪が降り出し、夕闇に家の明かりで風に白い雪片が舞うのがわかった。雪の白さとアッカジデイコの赤さの対照が鮮やかであったのを思い出す」
大根については栽培植物学の青葉高さんの説があって、日本への渡来は少なくとも2度あり、通常の大根が渡来する以前に少々小さい大根が日本に渡来していたという。この方向に進むのであれば当分まだ体力は衰えたけどフィールドワークを続けるしかない。
もうひとつは、吟行である。実に悩ましい問題であり、「為の果て」を考えるのである。
畑からとってくれたアッカジデイコ。
持ち帰り、約束どおり蕎麦をこの大根のオロシで食べた。身にしみて世の中も蕎麦も辛かった。
「山笑う」早春の北上山地である。
西日本などの常緑広葉樹林は常緑が混じる若葉であるが、東日本とくに
東北の早春は落葉広葉樹林帯なので、全身若葉といっていい。
全山真っ赤な錦繍の秋より、若葉の季節を好む人もいる。
(平成21年7月22日掲載)