難聴の中での民俗研究へ

国立歴史民俗博物館
准教授
山田 慎也

 忘れもしない平成20年9月3日午後、何の自覚もなく気が付いたら右耳の聴力が大幅に低下しており、耳元で大声で言われないとわからないのである。すでに平成12年11月には左耳の聴力を完全に失っているため、ついに普通の会話の聞き取りはできなくなった。入院治療もしたが、結局聴力は戻らないままであった。

私の場合、音素を理解する能力が低下しており、補聴器をつけても、大きな音としては聞こえるが、言葉としての理解が難しいのである。いうなれば、チューナーの悪い雑音の入ったラジオを聞いているみたいで、音を大きくすると雑音も大きくなって聞き取りにくさはあまりかわらないといった状態である。

特に離れて座って会話する会議などは、まるで外国人同士の会話を聞いているような感じである。いまでは少人数の会議ではワイヤレスマイクをつかってなんとか聞き取ったり、大勢の会議では要約筆記のサポートをお願いしたりして、館の仕事は今までのようにはいかないまでも最低限できるようになった。これも館長はじめ歴博の皆さんの援助があってのことであり、本当にありがたいと思っている。

最近、かなり精神的には立ち直ってきたものの、正直研究面に関してはまだとまどいの感がある。私は葬送儀礼の近代化と死生観をテーマに調査研究を行ってきた。その際、実際の葬儀のフィールドワークを重視している。それは聞き取り調査だけでは、理想としての葬儀は語られても、実践のレベルでは大きく異なることが多く、また現場での知識の依存先のあり方の変化、例えば葬祭業者への依存など把握するには、人々の何気ない会話から理解することが重要であったからである。

そこで和歌山県串本町や東京都江戸川区などでは、葬儀社の業務に参加しながら現場での調査を行ったり、また新潟県佐渡市では、むらの人とともに葬儀を手伝いながらの参与観察を行った。ただ参与観察にしてもインタビューにしても、基本は聞き取りである。人々の何気ない会話を理解するだけでなく、インタビューでもインフォーマントにとっていいにくいこともあり、つぶやきやぼそっといった一言、聞き返すと再び答えてくれないことなど、こうした微妙なニュアンスを理解しながら調査を行ってきた。

さらに葬儀の現場は、あまり大声で話さないこともおおい。葬儀の調査はそれでなくとも、ご遺族の多大な理解によって成り立っており、さまざまな雰囲気を感じ取って行動することが通常の調査以上に必要とされる。耳が悪くなって以来、こうした雰囲気を感じ取ることが困難になり、ご遺族にも迷惑を掛けるようになってはいけないと思い、現在このような調査は差し控えている。

こうしたなかで、以前から関心を持って調査を並行していたのが、遺影や葬儀写真集、死絵といった、死者の肖像に関する図像である。地獄図や曼荼羅などは、多くの研究が重ねられているが、これらの資料は、あまりに個別性が強く、また死絵などは錦絵の中ではマイナーな存在であるため、従来あまり着目されてこなかった。

しかし現在、遺影は死者表象として最も重要な存在である。その一方で写真は150年程度の歴史しかなく、それが死という人間文化の最も根底の部分と密接に関わるようになる過程はまだ十分明らかになっていない。葬儀写真集に掲載された遺影のあり方を通して検討しているところでがあるが、生前のある時点の写真を死者そのものと見なすという現在では当たり前の視線は、写真が導入された当初にはまだ存在していなかった可能性がある。

また死絵は、死後の姿を描く点に特徴があり、生前の姿を死者と見なす遺影とは対照的なメディアである。こうした画像を通した死の認識のあり方は、今までの葬儀研究を通して明らかにした現代の死の認識をまた別の角度から照射できるものである。

幸い歴博はこうした資料が蓄積されており、整理を進めてきた歴博所蔵の死絵も、今年度図録として刊行される。しばらくはこうした画像資料の調査を取り組みながら、難聴のなかの民俗研究を見いだしていきたい。

遺影写真や肖像画などが掲げられた仏堂(岩手県、平成20年)

山村の葬儀調査、左側一番手前が筆者(和歌山県、平成5年)

(平成22年03月01日 掲載)

著者プロフィール

山田慎也(やまだ・しんや)

国立歴史民俗博物館研究部民俗研究系准教授。専攻は民俗学。昭和43年生まれ。
平成9年3月慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程満期退学、平成9年4月国立民族学博物館COE研究員を経て、平成10年4月国立歴史民俗博物館民俗研究部助手、平成19年8月に現職となる。
社会学博士(平成12年、慶應義塾大学)。 著書に、『現代日本の死と葬儀―葬祭業の展開』 東京大学出版会、平成19年。

※著者の肩書きは掲載時のもの