No.003 - オランダ人が見た大坂の陣

オランダ人が見た大坂の陣

 

「当地堺では、我々は皆、大混乱状態に陥っていることを知らせる。その理由とは、皇帝〔家康〕が武力で大坂を攻囲するために、その全軍を率いて、伏見やその周辺に軍を配置したことである。大坂方は士気高く皇帝の到来を待ち受けている。大坂と堺の市民たちの多くがその荷物を持ってあちこちへ逃げた」。これは、オランダ商人ファン・サントフォールトが1614年11月29日(年は西暦、月日は和暦、慶長19年11月29日)付で堺から発信した書簡の冒頭部分である(原文はオランダ語)。その時期は、大坂冬の陣の時である。

 

その1ヶ月後の1615年1月29日(慶長19年12月29日)付の東インド会社の商務員ワウテルセンの書簡には冬の陣後の荒れ果てた状況について記されている。ワウテルセンは同月25日に堺に到着し、その翌日に大坂を訪れ、その時の状況について「秀頼の命令の下に一万五千軒以上の家が全焼させられ、四方に大砲の射程よりも広い空地ができた」などと書いている。

 

このような大坂の陣に関連する記述のあるオランダ人の書簡としては、メルヒヨル・ファン・サントフォールト、エルベルト・ワウテルセン、マテイス・テン・ブルッケの書簡10通を確認している。これらの書簡は、大坂の陣の前後に堺、大坂、京都、室津(現・兵庫県たつの市)から発信されており、オランダ人が当時各地で見聞したことを伝えている。そこには、不穏な状況下での民衆の恐怖や混乱が克明に記録されている。大坂の陣について庶民が残した史料が乏しい中で、庶民の視点から見た記録として貴重であるといえる。

 

国際日本文化研究センター(日文研)は、オランダのライデン大学と共同でハーグ国立文書館の所蔵文書の内、1609年~1633年の送受信書簡を調査し、これまで524点の書簡を確認した。これらの書簡は、江戸初期における対外関係や社会を研究する上で、情報の宝庫である。今後、人間文化研究機構(人文機構)ネットワーク型基幹研究プロジェクト「日本関連在外資料調査研究・活用」事業の中の「ハーグ国立文書館所蔵平戸オランダ商館文書調査研究・活用」の一環として、これらの書簡の翻刻と和訳を進めていく。

 

フレデリック・クレインス

国際日本文化研究センター 准教授

 

 

 

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メルヒヨル・ファン・サントフォールトより平戸オランダ商館長ジャック・スペックス宛書簡、堺、1614年11月29日付(月日が和暦)。(ハーグ国立文書館所蔵)

 

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エルベルト・ワウテルセンより平戸オランダ商館長ジャック・スペックス宛書簡、堺、1615年1月29日付。(ハーグ国立文書館所蔵)