No.030 - 2025年の大阪・関西万博誘致に向けて知っておきたい5つのこと

2025年の大阪・関西万博誘致に向けて知っておきたい5つのこと

 

日本政府は、2025年の万国博覧会(万博)を大阪の夢洲(ゆめしま)に誘致したい考えです。2018年の11月23日には、博覧会国際事務局があるパリで2025年の万博誘致のための最終プレゼンを行い、開催地として他に立候補しているロシア中部のエカテリンブルクとアゼルバイジャンの首都バクーと競います。

170カ国の投票によって決まる2025年の万博の開催地。大阪・関西万博に決まれば、1970年以来、55年ぶりに2度目の万博を大阪で開催することになります。

万博は、企業が盛んに行っている商談会や見本市と何が異なるのでしょうか。そもそもどういった経緯で始まり、今日まで続いてきたのでしょうか。京都大学大学院教育学研究科の佐野真由子教授にお話を伺いました。

 


 

万博とはどのような催し物ですか。

万博は、国家が開催する催し物で、外交ルートを通じて他国を招き、国単位で参加する唯一の国際社会の公式イベントです。1928年に結ばれた国際博覧会条約と呼ばれる多国間の条約に基づいて、1931年に設置された博覧会国際事務局(BIE)のもとで運営されています。

 

 

万博は、イギリスのビクトリア女王の夫であるアルバート公の発意で1851年にロンドンで開催されたとされていますが、どういった動機で始まったのでしょうか。大英帝国の先端技術を誇示することが目的だったのでしょうか。

いえ、最初の動機はもうちょっと純粋なものだったと見ています。万博は、非常に帝国主義的な国威発揚の場として言われることが多く、もちろん、そういった性格を帯びた時期もありました。しかし、ロンドンの万博を企画した人たちの記録をたどると、思い切って大きな展示会をやりたい、いろいろな物産を展示したいという議論がみられ、当初は「世界を知りたい、いろいろなものを持ってきて見たい、並べて展示したい、人々に知ってもらいたい」という欲求によって作られたものだと考えています。そして、世界中のものを集めて、産業の結果や最新の技術を披露し合っていたら、自然の流れとして、国威発揚につながっていった。そのように見ています。

 

 

1851年にロンドンで始まった万博が、80年を経て国際的な条約に基づいて開催されるようになったのはなぜですか。

世界中のものを集めて展示する、という大きなことをできるのは、経済的にも人的資源的にも当初は国家しかありませんでした。しかし、次第に民間でも同じようなことができるようになり、似たような催し物が出てきます。

当時の記録を読み返すと、万博の関係者はそういった民間の催し物、とりわけ商業的な見本市とはなんとか区別したいという意向が強かったように見受けられます。そして、きちんとした国家間の催し物として位置づけるために、多国間条約を締結して万博を制度化しました。

 

 

日本で万博が初めて開催されたのは、1970年の大阪万博のことでした。それ以前にも日本で万博を誘致したり、開催しようとしたりする動きはあったのでしょうか。

はい、明治時代にも一度動きがあり、そしてより本格的には、幻となった1940年の万博計画がありました。しかし、日中戦争の時期に入り、実現しませんでした。とはいえ、すでに入場チケットも販売されるいうところまで準備が進んでいたのです。そして、これは当時、中止と言わず、「延期」とされました。「延期」だったのですから、1940年の入場チケットを買った人たちは、そのチケットで1970年の大阪万博に入場できたんですよ。すてきな話ですよね。1940年万博については、私の共同研究の仲間である増山一成さんのご研究(写真の論集中に収載)をぜひ参照していただきたいです。

 

 

1970年の大阪万博は、アジアで開催された初めての万博でした。振り返ると歴史的にどのような意味をもつものだったのでしょうか。

万博は常にその時の国際社会の構造や課題を反映していると考えています。1960年代から70年代は、植民地が一気に独立して、地球上の国家の数がうんと増えた時期です。つまり、万博の正式開催国・参加国となれる国家が一気に増えたんです。

そうした中で、かつてはイギリスの植民地であったカナダで1967年にモントリオール万博が開催され、1970年にはアジアで初めて大阪万博が開催されました。大阪万博は、「人類の進歩と調和」をテーマとして掲げましたが、まさに新しい国家が増えて、一握りの先進国が支配していた世界の様相がガラッと変わろうとしていました。これまで、日本がこの万博で先進国の仲間入りをしたという意義が強調されてきましたが、そういった国際社会の構造変化が色濃く反映された万博であるという世界史的な見方も重要だと考えています。

また、1970年の大阪万博は、現在に到るまでに日本の産業界や社会を引っ張ってきた人材の開発の機会でもありました。現在の日本を代表するようなアーティストや建築家、ファッションデザイナーは若い頃にその才能を伸ばす機会が大阪万博によって与えられた、そういったケースが非常に多くあるんです。ですから、世界が2025年の万博を大阪・関西万博に選んだ際には、万博の準備に若い人をたくさん巻き込んで、その才能が発揮できるような場所やチャンスをどんどんと与えていただきたい。21世紀の残りを背負うぐらいの人材を出すような万博にしていただきたいと強く願います。

 


 

「万博には、国際社会の構造が常にかなり生々しく反映される」と佐野先生。トランプ政権が始まり、万博の創始国である英国がEU離脱を表明。他国や世界よりも自国の利益や繁栄を追求する保護主義的な傾向が強くなっています。2020年のドバイ、2023年のブエノス・アイレス、そして2025年のそれぞれの万博ではどのような世界が映し出されるのでしょうか。

 

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1970年の大阪万博の様子
CCBY-SA2.0 m-louis

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国内外の多様な分野の研究者や博覧会現場に知悉した実務家らと2010年以来行ってきた
共同研究の成果『万国博覧会と人間の歴史』(佐野真由子編著、思文閣出版、2015年)

 

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京都大学大学院教育学研究科 教授 / 国際日本文化研究センター 客員教授 佐野真由子
研究のキーワードに掲げるのは「外交の文化史」。ケンブリッジ大学で修士号(国際関係論)、東京大学で博士号(学術)を取得。国際交流基金やUNESCOで勤務したのち、静岡文化芸術大学、国際日本文化研究センターを経て、2018年より現職。『万国博覧会と人間の歴史』(佐野真由子編著、思文閣出版、2015年)は、国内外の多様な分野の研究者や博覧会現場に知悉した実務家らと2010年以来行ってきた共同研究の成果。

聞き手:高祖歩美

 

大阪・関西万博の詳細(予定)
会期:2025年5月3日〜11月3日
会場:大阪府 夢洲(155ヘクタール、甲子園球場およそ100個分)
テーマ:命輝く未来社会のデザイン
https://www.expo2025-osaka-japan.jp/

 

これまで日本で開催された万博
1970年 大阪万博 テーマ:人類の進歩と調和
1975年 沖縄国際海洋博覧会  テーマ:海-その望ましい未来
1985年 国際科学技術博覧会(筑波) テーマ:人間・住居・環境と科学技術
1990年 国際花と緑の博覧会(大阪) テーマ:花と緑と生活の係わりを捉え 21世紀へ 向けて潤いのある社会の創造を目指す
2005年 愛・地球博(愛知) テーマ:自然の叡智

*1970年の大阪万博のみが規模の大きな登録博覧会(当時の用語では一般博覧会)として扱われている。博覧会には、「登録博覧会」と「認定博覧会」の2種類があり、開催期間や会場の規模などを踏まえて総合的に判断される。2025年に立候補している大阪・関西万博は登録博覧会。