No.070 - リーダーに聞く『山極壽一 総合地球環境学研究所新所長』
リーダーに聞く『山極壽一 総合地球環境学研究所新所長』
2021年4月、総合地球環境学研究所では4代目の所長に山極壽一教授を迎えました。山極先生は長年にわたって霊長類学研究に携わっておられ、そこで培われた知見や視座を地球環境問題の研究や解決に活かしていきたいとおっしゃいます。所長として抱負や、地球環境問題を考える上で人文学に求められる役割について、金セッピョル特任助教からお話を伺いました。
霊長類学を通して人間を知る
金:これまでの研究について教えてください。
山極:人間を知るならサルを知れという霊長類学の発想がおもしろくて研究の世界に入りました。人間と社会に関して研究したいと思ったところで、最初に着目したのが父親と子供の関係です。母親は自分の身体で子どもを産むから、子どもとの間に密接な関係ができますよね。しかし父親は自分で産むわけではないので、自分と子どもの血縁関係や親しい間柄というのは生得的には理解できないのです。それでは父親と子どもの関係はどういうふうに生じて、維持されていくのかという問題について研究してきました。
その結果、父親は自分の意思でなるものではなくて、つくられるものだという考えに行き着きました。メスがオスに父親の役割を期待して、また子どもがオスを父親として慕うことで、オスはみんなの期待に添う行動をするようになる。父親は人間にとって最初の文化的装置なのです。
また、コロナ禍において考えていることは、人間のような社会をつくるためには、三つの自由を持たなくてはいけないということです。三つの自由は何かといったら、動く自由、集まる自由、対話する自由です。この三つの自由とも、ゴリラは持っていません。その自由を獲得したからこそ、人間はこれほど可塑性に富む、規模の大きな社会をつくることができたと思います。この三つの自由を獲得できた経緯について考えているところです。
霊長類学から地球環境問題へ:長い時間軸と広い空間軸からのまなざし
金:類人猿から人類への進化を捉えるための長い時間軸と、人間以外の生物を視野に入れる広い空間軸は、地球環境問題を考える上で役立ちそうですね。
山極:学問そのものというより、霊長類学を研究するなかで得た見方が、今後も役立つと思っています。人間は表面だけで捉えられるものではなく、奥底にある人間性のなかに進化の過程が埋め込まれていて、いろいろな生物や無生物とつながっているということが、これまでの研究で得たことです。ジャングルのなかでゴリラを見ていると、さまざまな植物と動物とつながった環境のなかで進化してきたことがわかります。
人間も700万年の間、いろいろな生物と共生してきました。それがこの1万年のあいだ、すっかり切れてしまっています。科学技術を駆使して、近視眼的に人間に都合のいい環境を整え、自然とのつながりを絶とうとしているわけです。
そうすると、とんでもない結果になるかもしれません。日本には「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがあります。これは笑い話ですが、「バタフライ効果」と同じで現実化しつつあります。たとえば、いま大きな課題である気候変動を何とか止めなければ、地震も津波も大雨も干ばつもどこかで起こります。最初は人間に被害が及ばない小さな現象かもしれないですが、連鎖的にネガティブな影響が拡大して、最後は人間に降りかかってきます。これからの地球環境においては、自然とのつながりと循環をいかに回復するかが非常に重要な論点で、地球研が果たすべき仕事であると考えます。
多様性を重んじる人文学と、普遍性を重んじる自然科学、その壁を超える霊長類学
金:私は韓国の大学で文化人類学科を卒業しましたが、そこには形質人類学部門があり、類人猿からの進化について学んだことがあります。当時から不思議に思ったのが、文化人類学は個別生・多様性を重んじていて、また構築主義的な考え方が主流だと思っていたのに、形質人類学の授業では真逆で、人間の普遍性が前提になっていたことです。今日のインタビューにおいても、どちらかというと普遍性が目立つお話が多かったような気がします。
山極:そもそもマクロの人類学、ひいては人文学は多様性を重んじる学問ですが、自然科学は普遍性を求める学問なのですよ。それがなかなか一致しない。
ところが人間、そしてすべての生物は多様性と普遍性を併せもっています。人間は文化というレベルからすると、多様性がすごく目立つのです。それが人間以外の、例えばゴリラと比較してみると、普遍性がみえてくる。これが不思議だし、人間の特徴でもあります。
金:父親が文化的な装置であるという考え方には、両方の接点になり得る気がします。
山極:もちろんです。文化人類学者が文化の生産物であると考えていたものが、実は生物学的な資質と関連の深いものであるということもわかってきたということですね。
地球環境課題の解決における、人文学の重要性と課題
山極:私は2020年度まで日本学術会議の会長をつとめておりました。最後の2年間で各分野の研究者たちと10年後、30年後の未来を予想して、現時点からその未来に向かって学術をどう動かしたらいいのかを考えようと呼びかけて、成果を1冊の本にまとめました。
そのときに思ったのは、人文・社会学者に未来はつくれないということです。彼らは未来を予想するのが嫌いだし、できないと思っているようです。たとえば、歴史学や哲学は、過去を省みて現在を正すような提案はしますが、未来は予想していないのです。
金:未来を予想するためには、ある程度普遍性を認めないといけないからでしょうか。
山極:そうです。自然科学は事実の積み重ねで、この技術が発展していけば、こんなものが生まれるはずだと、未来を予想し目標を立てられます。だから20世紀の後半には技術が先導する政策ばかり出てきてしまったわけです。
しかしこれが間違いだということが21世紀になってわかってきました。これからは技術優先の時代をひっくり返さなくてはいけない。そのためには人文・社会学者に現代から未来に至るプロセスをきちんと予想してもらい、真の意味で人文学や社会科学、自然科学が組んで、複合的な未来社会を予想し、実践を重ねていかなければなりません。それが今後、地球研が担っていくべき役割だと考えています。
(聞き手:総合地球環境学研究所 特任助教・人文知コミュニケーター 金セッピョル)