No.078 - 人文知コミュニケーターOBにインタビュー!弘前大学人文社会科学部 新永悠人(にいなが ゆうと)さん<前編>
弘前大学人文社会科学部 新永悠人(にいなが ゆうと)さん
人文知コミュニケーターを経て弘前大学に就職された新永先生にお話を伺いました。前編では、人文知コミュニケーター時代を振り返りつつ、大学教員としての就職や弘前大学での活動を取り上げています。
・人文知コミュニケーター時代に描いていた将来のキャリアパス
就職先としては大学におけるテニュア(終身雇用)の研究者以外では考えていませんでした。私の専門は言語学で、研究対象は方言ですので、一般企業での就職というのはまったくイメージしていませんでした。他にも研究所という進路もあり得ますが、国立国語研究所くらいしかありませんし…。私の周囲の就職状況を参考にしますと、文系は学部卒後の新卒採用が普通で、ギリギリ進学したとして修士課程までで、博士課程に進学したら一般企業への就職は難しいという印象があります。特に専門が私のようにニッチであればある程これに該当します。私は博士課程に進学し、しかも人文知コミュニケーターをやっていた時はポスドクだったので、一般企業に採用してもらえる可能性はほぼありませんでした。
・弘前大学での人文知コミュニケーターの認知
現在の職場である弘前大学で面接を受けた際は、特に人文知コミュニケーターについて質問されることはありませんでした。後日、周囲の教員に聞いたところ、ほとんどが人文知コミュニケーターの存在を知りませんでした。唯一知っていたのは、私が面接を受けた時に採用について中心的に動いていた先生だけでした。その先生曰く、インターネット上の私の記事を探し、国立国語研究所や人間文化研究機構で取材された記事を見て、私が人文知コミュニケーターをやっていることを知ったそうです。しかし、その先生も採用に際して私が何者なのかを知るために調べたに過ぎないので、人文知コミュニケーターそのものの認知度は現在もほとんどないように思います。
弘前大学では自分の専門分野を教えるオムニバス授業(複数の教員が1つの授業で1回ずつ講義を担当するもの)が年に1回あります。せっかくの機会なので、この授業では1年生で専門が決まっていない学生などに対して人文知コミュニケーターのことを伝えています。学生は毎回100名程度が受講するのですが、人文知コミュニケーターを元々知っている学生はほぼいないため、「そんなポストがあるんだ」といったコメントがよくあります。中には、「人文知コミュニケーターになるにはどうしたらいいですか」という質問もありました。
思うに、人文知コミュニケーターは、それをゴールとして目指す類の仕事ではないように思います。自然科学分野のサイエンスコミュニケーターや科学コミュニケーターには、職業として国立科学博物館や各都道府県の科学館などの就職先がありますが、専門職としての人文知コミュニケーターは人間文化研究機構所属の6機関にしか存在しません。しかも、期限付き雇用です。この絶対数の少なさと有期雇用であることを考えると、専門職としての人文知コミュニケーターは目指すべき目標としての職種ではなく、自らの専門で常勤職を得るまでの中間的ステップとして存在しているのが現状だと思います。
もちろん、人文知コミュニケーションという行為自体は、人文機構の人文知コミュニケーターの制度が始まる前から、専門家による一般書の執筆や講演会などのイベントを通してずっと続いていました。この意味での人文知コミュニケーションは、研究者であれば本来は誰もが実践するべきものだと思っています。
・弘前大学に赴任しての変化
青森の大学に来た理由はシンプルで、そこから公募が出ていたからです。私のように「言語学が専門で日本の方言が研究対象」となると、言語学の分野から見ると研究対象が日本の方言である点で周辺的な存在ですし、日本の方言を研究対象とするならば普通は国語学(日本語学)出身の方が多いため、その分野から見ると言語学が専門である点において周辺的な存在となってしまいます。つまり、言語学と国語学(日本語学)の境界のような場所にいるため、応募できるポストが非常に少なく、採用してもらえるなら、日本全国、あるいは海外であろうともどこでも行くという覚悟でした。
私が弘前大学に赴任した2年前は丁度コロナウイルスの感染拡大が始まった時だったので、それまでオンラインでの授業というのはまったくの未経験でしたが、必然的に慣れることができました。
環境の変化で言えば、雪が1年の4分の1は積もっている地域なので、雪に慣れたことが挙げられます。あとは、温泉によく行くようになったことですかね。奥羽山脈が近くを走っているためか、温泉があちらこちらに湧いており、銭湯も温泉であるところがほとんどです。だいたい300円~400円で入れるので、疲れたときなどに温泉に行って体を休めています。
研究面では、せっかく弘前に来たので、音声の弘前市方言と手話の弘前市方言の研究を少しずつ始めています。
冬場の完全防備
冬季の弘前大学の駐輪場
・弘前大学の魅力や他大学にはない特徴
弘前大学は青森県唯一の国立大学であるため、県外の大学を目指すのでなければ、青森県内の進学校の学生は弘前に集まります。特に文化系の分野ですと、民俗学や考古学の研究が盛んです。考古学については、青森県には三内丸山遺跡を始めとした縄文時代の遺跡が数多く存在し、その分野のトップクラスの研究者の指導を受けながら研究をすることが可能です。私も少しずつ青森県内の方言の研究を始めているので、興味のある方は一緒に研究するためにぜひ弘前大学に来てほしいと思います。
・大学教員になってわかったこと
弘前大学には医学部や理工学部などの理系分野には博士課程の大学院がありますが、人文科学の分野は修士課程までしかありません。そのため博士号を取って日本語学の研究者になりたいという学生がいたら、他大学の教員をその学生に紹介することになります。
地方の小規模国立大学である現在の勤務校に来て知ったことが1つあります。大都市圏にある総合大学には1つの研究室にだいたい3~4人の当該分野の専門教員が所属しているのですが、地方の小規模国立大学には、そのような研究室が存在せず、各専門分野を1人の教員が受け持つような状況にあります。例えば、大都市圏の総合大学の1つである東京大学であれば、国語研究室に3名、言語学研究室に5名の専任教員がいますが、弘前大学の国語学研究室には私が1名、言語学研究室には別の教員が1名いるのみです。従って、開講科目数も相対的に小規模になるため、学生が学ぶことのできる知識にも限界があります。そのため、本当に研究者を目指したい学生がいれば、修士課程の段階から私の研究室ではなく、複数の専門教員と多様な学生が周囲にいる他大学の大学院への進学を薦めます。
また、このように小規模の国立大学にいる場合、教員側も常日頃から同じ研究分野の教員と交流することが難しいため、自ら積極的に研究会や学会に参加して他の研究者と交流する必要があります。そうしないと、いつの間にか自分が「お山の大将」になってしまうという危険性があります。
大学教員になって分かったこととして他にも挙げるとしたら、教員を採用する側の基準のようなものが少し分かったことです。教員の採用試験を受ける側だった時は不採用の通知を見ては「またお祈りメールか! 今後の活躍を祈ってくれなくて良いから、いま採用してくれ!」といつも思っていました。しかし、採用する側の立場になると、そもそも数多くの応募者から1名を選ぶのですから、その他大勢を不採用としなければならない(「お祈り」しなければならない)ということが分かります。そのうえで、現在の傾向としてどのような人の評価が高まるかと言うと、専門分野の能力が高いことは前提としたうえで、専門分野に限らず様々な業務(地域貢献や入試業務など)を積極的にやってくれるかどうか、その実力があるかどうか、というのを見る傾向があるように思います。あと、多くの(採用する側の)教員が口を合わせたかのように言うのは、「この人と一緒に働きたいか」という観点です。採用後は何年も協力して大学業務をこなす必要があるので、そこでずっと一緒にいたいと思えるかどうか、いわば「雰囲気」のようなものも見ているということですね。とはいえ、そんなこと言われても、採用される側にとっちゃ、何が「良い雰囲気」になるのか分からないものですが…。
弘前手話による3名の談話風景
(聞き手:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)
新永悠人(にいなが ゆうと)さん
弘前大学 人文社会科学部 日本語学研究室 准教授
2014年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了〔博士(文学)〕。成城大学などの非常勤講師を経て2020年4月から現職。人間文化研究機構の人文知コミュニケーターには2017年から2020年にかけて就任。専門は記述言語学で、対象方言は北琉球諸方言(特に、鹿児島県の奄美大島湯湾方言、沖縄県の久高島方言)。