No.090 - リーダーに聞く『前川喜久雄 国立国語研究所 新所長』<後編>
前川喜久雄 国立国語研究所 新所長
2023年4月に前川喜久雄氏が国立国語研究所の新所長に就任されました。インタビューの後編では、国語研の地域連携や他分野との連携、新所長としての抱負を伺いました。
・国語研の地域連携
地域連携としては、小中高等学校の要請を受けて出前授業を細々とやってきています。また年に1回、主に小学生が国語研に来て言葉に関する色々なゲーム等を経験してもらう「ニホンゴ探検」や、一般向けのオープンハウスをやっておりましたが、残念ながらここ数年はコロナ禍でウェブにて開催しましたが、動画を視聴いただくだけなのでオープンハウスとして十分ではなく、実際に来てもらって研究員と話しながら、あるいは研究員が質問に答えるといったことをやった方がいいと思います。オープンハウスをコロナ禍前の状態に全面的に戻せるかどうかは今のところ分かりません。将来的には、もっと地域との連携を強めていく方向を目指したいと思いますがまだ模索中です。「日本語の研究はこういうふうにやるんですよ」というワークショップのようなものを、一般向けにもちろん地元を含めて開催できたらいいな、と考えております。
・国語研と他機関との連携
国語研と統計数理研究所(以下「統数研」)とのコラボレーションは、本当に古くて1950年代に遡ります。国語研の業績としてよく言及される山形県鶴岡市の方言の共通語化に関する経年調査があります。最初は1952年の調査で、統数研に当時おられて後の所長となる林知己夫先生が、調査の現場に行かれただけでなく、この調査の設計や方法論等に深く関わっていました。世界的に見ても、社会言語学調査にきちんとしたサンプリングを取り込んだ最初の例でした。あの調査をあれだけきちとんとできたのは林先生のお力が大きかったです。国語研では1950年の八丈島でも統数研と共同で調査しました。統数研は戦時中の1944年に設立され、国語研が1948年に設立されました。設立後間もない研究所がお互いに協力して、当時の若手だった林先生や国語研の柴田武先生が一緒になってやっていました。
ほかにも国立情報学研究所(以下「情報研」)とは、情報科学が言語を扱うようになってきたので、色々なところで接点ができました。例えば、1992年に実施した鶴岡での第3回調査で初めて音声を録音し、その音を私が全て編集しデータベースにして音声資源コンソーシアムという情報研の組織を使って公開していただきました。最近ではデジタル・ヒューマニティーズ(以下「DH」)で随分とお世話になっていますが、また別の形での連携も考えています。
・自然科学と人文科学
自然科学あるいは工学と人文科学とは、やはり大きな違いがあると思います。例えばCSJで言うと、工学的には最初から自発音声の音声認識率を上げたいという明確な目標がありました。それを実用レベルにまでもっていき、このような世の中にしたい。そのために何が必要かと逆算をしていってそこでプロジェクトが始まる。つまり目標が最初にきちんとある。
だけど人文科学はそうではありません。色々と常に試行錯誤していって、探索しながら課題自体を見つけていくというところがあり、自然科学とはかなりシャープに違う点です。見つける努力自体が人文科学だという気もします。課題解決ではなく課題を見つけることがむしろ人文科学の目標である、このような言い方をどれだけ認めてもらえるかは分かりませんが、課題解決に限定してしまうと、人文科学は痩せ細ってしまうと思います。
何をやりたいかということは、好奇心に基づく(curiosity-driven)研究でないといけません。それぞれの研究者が興味を個別に持ち、ある知りたいことがあって、それを知るためにはどういう具体的な解析方法があるのか。ノウハウを知らないと、DHのデータの処理等は上手くいかないと思います。そういうことを従来の人文系大学院では教えていない。全員に教える必要はないが、DHを前提としてやる人は知っておくべきで、将来的には言語系の大学院等のカリキュラムにも入れていく必要があると思います。
国語研は2023年4月から総合研究大学院大学に参画し、担当する「日本語言語科学」コースに4名が入りました。ここでそれを担うような人達を養成したいと思います。
学際的あるいは融合的な共同研究では、人文系と理工系の研究者がお互いのことをよく知らずに共同研究をしても、非常に表面的な部分で終わってしまったり、あるいはとんでもない結論に導かれてしまったりします。きちんとした共同研究をするにはお互いの分野についてある程度基礎知識がないといけないのです。そのためにも高校で理系・文系に分けない方がいいと思います。大学でも教養部を止めてしまいました。要するに4年間を専門教育に充てるという発想です。それは長い目で見ると、あまり良くないのではないかという気がします。
・新所長としての抱負
国語研は2009年10月の独立行政法人から大学共同利用機関法人への移管により、所内に相当大きな混乱がありましたが、今はアカデミックな研究機関として生まれ変わって落ち着いた時期だと思います。田窪行則前所長の時代にできた第4期中期計画はよくできているので、あとは粛々と今の人達がやりたい方向に進めてもらえればいい。
私がいる間に1つやっておかなければならないと思っているのが、木部機構長の下で人間文化研究機構全体が努力しているDHです。あれは勿論正しい方向で、機構全体として言語や日本文化に関する大きなデジタルデータができつつあるし、今後より一層しっかりできていく。だけどそれをどう料理するのかは、またちょっと別の話です。私はDHを前提としたポストDHの研究をやるべきだと思っています。
巨大なデータがオンラインで既にあり、いつでもアクセスできるというのは、昔の文学部の学生からすると夢のような話です。フィールドワークをするとか、写本を読むとか、偉い先生から本を借りるとかして自分でデータを作らないと、データが存在しなかった。DHの時代はそれが全部ではないにせよ、かなり重要な部分が既にオンライン上にあり、検索するとかなりの質が保証されたデータが大量に手に入る。ではそれをどう料理するのか、という研究方法の開発が非常に重要だと思っています。その方法論として私はやはりある程度自然科学寄りの実験的な手法、そしてある程度コンピューターの力を前提としたようなモデリングやシミュレーションといった方向に必ず向かうだろうと思っています。
(聞き手:木部 暢子 人間文化研究機構 機構長)
(文 責:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)
国立国語研究所 前川喜久雄 所長
専門は音声学、言語資源。上智大学大学院で言語学を学んだ後、最終的に東京工業大学大学院情報理工学研究科にて学術の博士号を取得。1984年に鳥取大学教育学部助手、1987年に同学部講師、1989年より国立国語研究所に務め、2023年4月より現職。