木部 暢子(きべ のぶこ)
言語学研究者
人間文化研究機構 機構長
人間文化研究機構 DH講座「第1回 DHへのいざない」~人文学の研究者に向けて~
人間文化研究機構は、第4期中期計画(2022年4月から2028年3月まで)の重要課題として「デジタル・ヒューマニティーズ(DH)」の推進を掲げています。
機構では人文学のさまざまな研究にデジタル技術を応用するだけでなく、「人文学をますますおもしろくする」ことを目指して、研究者や社会の人々が議論できる場や、次世代に向けた新たな研究基盤をつくろうとしています。
その一歩として、動画シリーズ「DH講座」を機構のYouTubeチャンネルにて公開しました。記念すべき第1回「DHへのいざない」は、木部機構長(言語学研究者)と堀理事(人工知能研究者)が、「デジタルってとっつきにくいなぁ」と漠然と感じている人文学者の皆様を、DHの世界にご案内します。
(1) 研究でのデジタル応用はどのように進んできたでしょうか?
1980年代の初めには、人文学の研究はコンピューターを介さない、いわばアナログな作業の積み重ねでした。学生だった木部機構長は『万葉集総索引』等の古典の索引を見て、原典に当たって用例を集めるという手法を指導され、集めた情報をカードに手書きして分類し、論文にまとめていました。時代が進むにつれ、索引の機能がテキスト検索になり、またカードがデータベースになって、デジタル化による効率化が進んできました。
同じころ機構内の機関にも大型計算機が導入され始め、堀理事は、国文学研究資料館での仕事を通じて、資料目録をデータベース化する(現在の国書データベースにまでつながる)事業や、国文学者との共同で古典に現れる言葉を著者や書名の典拠情報と関連付けて、異なる概念空間にある言葉を可視化する研究などに取組みました。例えば同じ「もののあはれ」という言葉であっても、それを使用する研究者によって概念の空間が違うため、単純なキーワード検索機能ではデータベースとして不十分なことが多くあります。そのような人間の主観が深く関わるデータを扱う世界がDHの世界で、それは人工知能研究者にとってもおもしろいものだと言います。
現在においても研究に使えるデータがまだ少ない、という点でふたりの認識は一致しています。DHでは、集めたデータをどう料理するかが重要で、データの連携や厚みによって新たな見え方を探索します。またデータセットの構築プロセスも研究者ごとに異なる資料の読み方を反映してより個別的なものにしていくことが考えられます。DHは従来の人文学の「おもしろさ」の延長にあるものだと堀理事は考え、木部機構長も古典の注釈をつける研究的行為とDHでのデータ構築の似ていることを指摘します。
(2) 人文学者、人文学、DHとの接点とは?
木部機構長は、索引やデータベースを作ることは、時には論文を書くことよりも労力がかかり、とても重要な仕事だと話します。これからの人文学では、データやデータベースを作ることが、研究者の業績としてきちんと評価されるべきだと考えています。
堀理事も同意見で、データを作る人と使う人が分業化されるのではなく、「作る」、「使う」から新たな「作る」が生まれる、という研究プロセスのサイクルが生み出されるようになれば、もっと研究が進みおもしろくなっていくのではないかと話します。
デジタルデータを生み出すことによって、これまで研究者の頭の中だけにあった研究プロセスが可視化されれば、さらに他の分野のデータとつないで新しい発想を生み出すことができるのではないか、と木部機構長は話します。しかし、プログラミングなど技術的な壁があり、なかなか人文学の研究者が気軽に参入できない現状があります。機構のDH事業では、技術面をフォローする講習会を開き、多くの研究者に参加してもらうことを計画しています。
(3) デジタルが個別の専門知を超えるきっかけになる?
環境問題、地域紛争、地方の活性化、ダイバーシティなど、現代社会はさまざまな課題を抱えており、その解決のためには多様な知を結集することが必要です。例えば消滅の危機にある方言や言語の状況のように、表面に見えている課題の背景にある状況を、研究者はそれぞれの専門知から捉えています。しかし研究者はそれぞれの研究分野で研究を深めているので、分野が異なる研究者どうしでは、議論するのが難しい現状があります。そこで登場するのが共通言語としての「デジタル」です。機構では、研究に使った資料や考えたプロセスをもデジタルで残していくことで、多様な専門分野を横断する知のプラットフォームをつくりたいと考えています。
この動画では、人工知能研究者である堀理事が、頭に思い描くイメージを、なんと紙とペンを使って手書きの絵で説明しています。堀理事は自らプログラムも書く理系の研究者ですが、このようなアナログな一面も垣間見えます。
(4) 研究のなかでデジタルとアナログが交差する?
デジタル技術を使用する研究者にとって、デジタル技術を駆使しない研究者から学ぶ点は多々あります。例えば、データベースが存在しないある特定の研究領域の情報を収集する上で、長年の勘により情報の所在にたどり着く。その勘は、これまでの研究で蓄積された、データ化されていない知識情報の賜に他なりません。こうした研究者個人の知識や研究成果の集合体のデータとデータとをつなぐことがDHに期待されます。DHは「人文学をますますおもしろくする」道具としてだけでなく、データを結ぶ、もしくはデータを介して人と人を交流のきっかけを作るメディアとしての役割も担います。
木部 暢子(きべ のぶこ)
言語学研究者
人間文化研究機構 機構長
堀 浩一(ほり こういち)
人工知能研究者
人間文化研究機構 理事
デジタル・ヒューマニティーズ
(DH)促進事業担当