No.102 - 第3回人間文化研究機構日本研究国際賞授賞者 ジャン=ノエル・ロベール氏インタビュー

コレージュ・ド・フランス教授 ジャン=ノエル・ロベール氏インタビュー

 

 コレージュ・ド・フランスのジャン=ノエル・ロベール先生は、日本天台宗を中心とする日本仏教の分野で素晴らしい成果を収めている研究者です。更に、仏教の教理を通じて日本に伝えられた言語である漢語(聖語)と日常で用いられていた和語(俗語)とを、「聖語論(ヒエログロシア)」と「異語論(ヘテログロシア)」という概念を通じて比較する試みをしており、その試みは日本だけでなくユーラシア大陸の様々な地域へと展開しています。

 こうした業績が評価され、ロベール先生は2021年に第3回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞されました。本インタビューでは、日本の魅力、聖語論研究の背景と今後の展開、現在フランスで流行っている日本研究等についてロベール先生にお聞きしました。

 

日本研究国際賞のメダルの授与(左 ロベール先生、右 木部機構長)

 

・ロベール先生にとっての日本の魅力

 フランスの有名な歴史家のルネ・グルッセ(1885-1952)は、「日本、特に奈良はシルクロードの終点だ」ということを言っていました。これはたぶん私にとっての日本の魅力を一言で表しているのではないかと思います。仏教を通じて中国と朝鮮半島の文化だけでなく、インドの文化も少しずつ淘汰して日本にたどり着きました。また言葉の勉強を通じて今度は日本から逆戻りをすると、東アジアや東南アジアの文化や歴史の部分が分かるような気がします。

 逆戻りという発想は、江戸時代の思想家・国学者の富永仲基(1715-1746)が仏教に対して批判的な内容を記した『出定後語』(1745年刊行)という著書の中で、「(仏教伝来のルートとは逆に)日本の思想を日本から西域まで広げたらどうなるか」ということを非常に短く記しています。私にとって日本の文化・文明は独立した、独特の、独創的な価値があるのと同時に、西域と結びつくその大きな網羅も魅力の1つです。

 

・聖語論の概念にたどり着くまでの経緯

 最初、私は勉強をする上で中国語か日本語のどちらかにしようかと躊躇していましたが、恩師であるフランス高等研究実習院(EPHE)のベルナール・フランク先生(1927-1996)の影響で、漢文と和文の両方を取る日本語を選びました。

 日本語について、日本では例えば二重言語のように漢の部分と和の部分がはっきりと独立した文化として存在していたというと思う人が多いのですが、私にとって和は漢を非常に尊敬しつつ、だんだんと形成されたものだと思います。

 日本で1番古い書物である『古事記』には最初から和という意識があり、言語的に漢から独立しています。『古事記』や『日本書紀』に出てくる和歌は漢文ではなく、言葉だけを表す平仮名の前の形で書かれています。また、当時の神々の名前や、「豊葦原の瑞穂の国」といった神話に登場する地名は全て大和言葉です。早く言えば、和歌と神話は全て独立した言葉として中国大陸の文化から独立したものとして考えられていたことがはっきりと分かります。

 もう1つ何故和歌が重要かと言いますと、写経のように仏教の教えを和歌でもって表せます。はっきりと表現されたのは紀元後1200年前後で、慈円(1155-1225)という天台宗の僧が残しています。彼は「日本語は漢字の上にある梵字と同じようなものだ」と述べています。つまり梵字=仮名という論理を作り上げ、それが「和歌即陀羅尼」(和歌は梵語で表されている陀羅尼と同じような権力を持っている)という考えになります。実はそこから聖語論という相対的なの観念が生まれました。1つの聖なる言葉があるのではなく、ある文化圏の中に聖なる言葉とそうではない言葉があり、お互いにどう発展していくかを調べます。

 

・聖語論の今後のテーマ

 テーマの1つが、ヨーロッパのスラブ語圏でかつて使われていた古代スラブ語の役割についてです。フランス東部のランスのノートルダム大聖堂には、福音書の抜粋コレクションであり、精巧に装飾が施された典礼が何世紀にも渡り保管されています。この典礼はスラブ圏の古代の礼拝言語である古代スラブ語に翻訳されただけでなく、いわば対立関係にあるキリル文字とグラゴール文字という2つの文字で表記されます。前者は正教の国々で、後者はスラブ圏のカトリックの国であるクロアチアでのみ使用されています。本典礼はルイ14世(1638-1715)の戴冠式に使われたという資料があることから、フランスの王冠とラテン語とギリシャ語に続く3番目の聖語のシンボルとしてのスラブの両伝統の統合との関係性を提示しています。今後、歴史家がより注視するこの非常に奇妙な現象を聖語論のプロセスを用いて探求したいです。

 

第3回人間文化研究機構日本研究国際賞を祝う会でご挨拶中のロベール先生

 

・コロナ禍での研究の難しさ

 コロナ禍により暫く日本へ行けず、ずっとフランスにいるしかなかった。フランスにおいて日本の古典の勉強をしても、やっぱり幻の世界のようなものになるのではないかと思い考えたのは、19~20世紀に一度も日本に行かずとも立派な日本学者がいたことです。『源氏物語』を翻訳したイギリスの中国研究家アーサー・ウェイリー(1889-1966)は日本へ行ったことがありません。彼の翻訳はイギリスでの現実と完全に切り離されたものを勉強・研究することかもしれませんが、私は来日すると3~4時間掛けて日本の書店などで資料を探すと、フランスでの1ヶ月分に相当する研究ができます。これはやっぱり日本に来ないと無理な訳です。

 

・現在フランスで流行っている日本研究の分野

 日本研究の新しいテーマとして、ジェンダー・スタディーズや差別などが入ってきました。この点から、私は平安時代の女性文学の可能性に対してとても興味があります。今日の世界の文学は、紫式部と何世紀にも渡り日本文学の頂点にあった『源氏物語』はもちろんのこと、大変素晴らしい女性作家達の手によって生み出された創造性の集合体によって存在していると思います。『源氏物語』は私が聖語論で意味することに対する完璧な事例です。つまり中国語と仏教の知識が総体的に日本語のテキストへと綺麗にまとまり、その見た目が独特であることです。それは今日の『源氏物語』の中国語版が10種類以上あり、それらが異なる時期に中国語に、フランス語もしくは英語に翻訳されたことからも分かります。原書の言語と翻訳された言語との関係はとても深く、それはある意味で逆行しているからです。

 他の分野として、フランスでは漫画が非常に流行っています。漫画は日本に対する興味を育てる、もしくは発展するための基盤として良いものです。しかし漫画にだけ留まるとはどうかなと思います。漫画やアニメ、ゲームを通して、たとえば日本の難しい神々の名前が登場します。とある日本神話辞典を出版したフランス人は、ゲームや漫画に対して興味がある人でした。ですから、とんでもないところから、また新しい角度から日本の古典文学に戻ってくるので、こうした作用が上手くいったらいい結果もあると思います。

 

・日本研究に取り組む海外の若手研究者や学生へのメッセージ

 東アジアの文化圏の境界線を考慮せず日本研究に取り組むことは、ひどい誤りだと思います。原則として、言語学者の殆どは中国語や韓国語の知識を前提にして日本語の歴史を研究しますが、日本の古典文学の研究を志望する学生でさえ漢文の学習の必要性を感じておりません。東アジア圏内における近現代の日本文化研究や、西洋化に対して中韓またはベトナムがどう反動したのかという比較研究は、よりやり甲斐があり、とても楽しいテーマであるので特にお勧めします。

 

(聞き手:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)