パネルディスカッション(4/4) 路上に世界の破片を拾う――大道芸の目線

 
 
国立民族学博物館教授
野村 雅一 *
 
鷲田

 それでは、最後のパネリストのお話を伺います。国立民族学博物館の教授でいらっしゃる野村雅一さんです。小林さんが生物学から哲学のほうに移動されたとしますと、野村さんはイタリア文学から文化人類学へ移動された方です。野村さんはこれまでずっと身振りやジェスチャー、しぐさというものの文化人類学研究で、随分たくさんのお仕事をしてこられました。

 私事になりますが、一九八〇年代の終わりに初めて哲学者の顔をしてファッションについての本を書きました。そのとき、哲学は深くて重いテーマを論じるはずなのに、なぜあんなに浅い、何の確かさもない流行について大まじめに論じるのだとすごく冷たい視線を浴びました。そんな中で最初に声をかけてくださった見知らぬ研究者が、野村雅一さんでした。「面白いことを考えているな、ちょっと遊びにおいで」といって呼ばれたのが、民博に入館した最初の経験です。それ以来、いろいろなことを教わってきました。

 その後、野村さんは私の領域にも侵入されてきて、ファッションのことも論じられましたし、今日お話いただくのは大道芸のことですが、数年前、民博の企画展で大道芸のパフォーマーを世界中から集められまして、私も森村泰昌さんというアーティストとともに、「キー坊とやっさんの哲学問答」という漫才をやらされてしまいました。

 最近はエイジング、老いの問題についても、いろいろな企業とも協力しながらお仕事をなさっています。

 それでは野村さんから、「路上に世界の破片を拾う―― 大道芸の目線」というとても詩的なタイトルでお話いただきたいと思います。

 
 
 
歩く、道、人文学、大道芸
野村

 先ほどお話された小林さんとは、私は旧知の間柄なのですが、「適切な抽象度」ということをおっしゃっていました。これは私も昔から気になっていることで、私たちが行っている研究というものは、どこまで抽象的になればいいのかは大きな問題です。それは人文学と社会との関係の中では、たいへん大きな意味があると思います。

 そして、今回の発表の中で、私のがいちばん抽象度の低いタイトルになっています。なにしろ、「歩く人文学」というシンポジウムを行うからと声をかけていただいて、一応承諾したら、そのすぐ後に「発表のタイトルを」と言われたので、さてどうしようか。皆さんは「歩く」ということを比喩として考えておられるのですが、私は身振りや文化としての身体というようなものを研究してきたので、歩くといったら道だろう(笑)。歩く、道、人文学と三題噺ばなしのように組み合わせたら、大道芸ということになるのかなと思って、このタイトルをつけたわけです。

 大道芸というものをゆっくりご覧になったことがない方が多かろうと思いますが、いろいろな目的、いろいろな志、いろいろな動機で行われています。大道芸という名のとおり、路上もしくは広場で行うわけですが、その路上というものが非常に大きな意味を持っています。そして道路の意味は、とくにこの十年くらいの間に、非常に大きく変化しています。

 
 
 
路上の変容
野村

 かつて路上といえば、路地とか裏通りのようなものをイメージすることが多かったと思います。繁華街の中でも狭い道、とくに日本ではそういう場所にいろいろなものがひしめき合っていました。大阪で言えば、何と言っても心斎橋通りの狭い所にいいお店がずらっと並んでいて、「心ブラ」と言ったりして大勢の人が集まったものです。しかしいまは表通りに中心が移ってしまっています。大きな店、有名なブランドショップが次々に表に面したところに店を出してきました。大阪では御堂筋がそうです。東京でも、表参道のような広い通りに店が移っています。

 その分だけ、裏通りの意味がなくなりつつあります。多分、裏通りのほうは、人間関係が成り立っているという点でにぎやかだったのだと思いますから、隣近所のいうようなつきあいがなくなると、ほとんど意味がなくなってくるということがあるのだと思います。

 それでもともかく路上はにぎやかです。そこは非常に現代的なスペースだと思います。そこで行われる大道芸の一つについて、今日はお話したいと思います。ビデオを用意しています。

 先ほど鷲田さんからご紹介いただきましたが、私は身体表現の可能性ということで、世界中のさまざまな演劇やダンスのパフォーマーの身体的な表現法を見せていただいて、皆で考えようという企画展「みんぱくミュージアム劇場―― からだは表現する」を二〇〇〇年の春にやりました。

 民博の中に仮設劇場を作りまして、正味五十日間、入れ替わり立ち替わり多くの演者の方に来ていただきました。普通の公演だけではなくて、お話もしていただき、レクチャーとデモンストレーションの両方を組み合わせたような形で行いました。そのときに、大道芸もやはり欲しい、見たいということで、知る人ぞ知るですが、日本人ではやはりこの人という、ギリヤーク尼ケ崎さんにお願いしました。七十歳を越えておられますが、たいへんお元気で、最近も大阪方面で公演されました。それから、ギリヤークさんより二十年くらい後から大道芸を始められた雪竹太郎さんもすごく頑張っておられます。その二人に来ていただき公演をしてもらいました。今日はその雪竹さんのパフォーマンスをビデオで見ていただきます。

 これは人類学とも大いに関係があります。単に演劇の観覧会ということではなく、やはり演劇というものが人類学の中に持っている意味のようなことが一つあるわけです。それを前置きに少しだけお話しておきます。

 
 
 
儀礼は社会の反省行為
小林

  もう亡くなりましたが、アメリカの文化人類学者にビクター・ターナーという人がいました。儀礼研究は人類学の中心的なテーマなので、昔からいろいろな人が研究を続けてきていますが、その中でもかなり大きな展開を果たして功績を残した方です。そのビクター・ターナーは晩年、民博に来られて講演をされました。かなり画期的な講演で、細かい注までつけたペーパーも用意しておられ、二時間ぐらい講義をされました。

 そのときのテーマは、「儀礼」とは何なのかということだったのですが、彼流の解釈では、「社会の反省行為」だというのです。儀礼というのはいろいろな定義づけができるのですが、反省行為、自分たちの社会を考え直す。「反省」というのは、英語で言うと、「リフレクション」(Reflection )という言葉ですが、その行為です。

 普通、リフレクションは一人でやります。自分で何か考えるときの考察は一人でやりますが、そうではなくて、儀礼というのは集団的なリフレクションなのです。コレクティブなリフレクションで、社会を儀礼の中で考え直す。どんな儀礼でも、本来は始まる前と後では、自己変容というか、なんらかの変容が起こっていなければいけないのですが、とにかく、それを起こらせようとする仕掛けが儀礼なのだと言っておられました。

 儀礼の根本はそのような社会の反省行為であり、基本的に身体的な演劇行為だというようなことを言われたのに、私はすごく感激しました(このときの民博での講演は、彼の主要著書にそのまま掲載されています)。

 それを逆に考えると、演劇も非常に儀礼的なものです。どんな演劇も一種の儀礼であるはずです。たとえば古代ギリシャでも、神殿のそばに円形劇場が設けられていますし、インドなどでもそうです。ダンスの場合も同じです。演劇やダンスの儀礼性ということがあります。ですから、演劇というのは、いろいろな社会的な治療効果のようなものが本来なければいけないし、あるはずだと思います。そのような意味で、私はひまを見つけては大道芸を見にいき、いろいろな演劇やダンスを見にいっているのです。

 では、雪竹太郎さんのビデオをご覧ください。

 これは二〇〇〇年の五月十四日だったと思います。雪竹さんの唯一の注文は、ふだんは屋外でやるので、仮設劇場にも屋外の雰囲気を出すためなのかわかりませんが、枯れ葉を集めてきて床にまいておいてほしいということでした。

 この人のいちばんのネタは人間美術館です。彼は「見たことがある人は手を挙げてください」と言います。「僕の人間美術館を、今日初めてごらんになるかたは手を挙げていただけますか。……ありがとうございます。ちょっと待ってください。そのままでお願いします。……両手を挙げていただけますか」というような感じで入っていくわけです。

 先ほど基調講演で、嘉田さんが「共感」という言葉を使われましたが、これは一つの場で共感する、芸を見る前に、そこでそれが受け入れられる用意、準備なのです。そして相手(客)にも、体を動かしてもらうわけです。

 雪竹さんの大道芸は、非常に静寂感のある芸です。これから彼は人間美術館を開くわけです。少しずつ脱いで、白塗りをします。観客のほうに行って裸の背中を向けて、座っている人に頼んで塗ってもらいます。客は最初はためらうのですが、頼まれて塗りだします。彼は一九八三年に表参道で初めてこの公演をやったらしいのですが、いきなり警察にしょっぴかれています(笑)。

 このように白塗りして、まずロダンの考える人になります。そういうものを次々とやっていきます。ダビデ像や写楽、ムンクの叫びまで、いろいろあります。弥勒菩薩(みろくぼさつ)のようなものをやることもあります。雪竹さんはこの十年位、ヨーロッパやアメリカで公演するほうが多いようです。

 一度客に白塗りを手伝ってもらうと「関係」ができるわけで、またその客を呼んで、今度はあの額縁を取ってくれといって手伝ってもらって、モナ・リザになったりします。手伝った人も彼の演技に巻き込まれていきます。今度は子供も加わって、演じさせられます。そして、最後にこのようにみんなで群衆画、ピカソのゲルニカが再現される、というわけです。

 
 
壊れた世界を結ぶつながり
野村

 雪竹太郎さんは見るからに役者といいますか、かっこいい人で、体も鍛えていますし、長いあいだ演劇訓練もしています。立派な学歴もあります。早稲田大学の演劇学科卒業です。きっちり訓練を積んだ美丈夫ですから、テレビでも演劇でも映画でもやればいくらでも有名になれるし、収入的にも楽なのではないかと思うのです。

 私は彼に何度か、なぜ大道芸を続けるのかと聞いたことがあります。彼の答えは、いつもポイントが少しずつ違うのですが、一つは、いまの日本の街、欧米もそうですが、街の中には人やモノがたくさんあふれている。雑踏がある、においもする、音もする。しかし皆バラバラだ、と。言ってみれば、ガラスが壊れて、破片のようにバラバラになっている。たとえば救急車がピーポーピーポーとサイレンを鳴らして飛んできても、皆他人ごとのように見向きもしない状態だ。であれば、そうしたバラバラな世界に自分を置くことで、何かできないか。たとえば救急車がピーポーピーポーと走っているときに、誰かが「助けて!」と叫んだらどうなるか。そうしたら、そのときは皆、足を止めて、目を向けるのではないか。その場につながりができるのだと。それはもちろん架空のものだし、一瞬ですが、壊れた世界を結ぶつながりができるのではないかと言うのです。

 彼の大道芸は、言ってみれば「路上に〈いま〉という場を作る」ことで、括弧つきの比喩としての世界ですが、私たちの世界を、歩行者たちと、そこに見ている観客たちと一緒に再構築するという経験を、しばらくでも共有してみるのが自分の役割だというようなことを言っています。

 また、彼がもう一つ言っていたことがあります。この世の中に劇というものはいろいろあります。仏像でも、奈良の大仏のような立派なものはバスを連ねて見にいきますが、大劇場にも大挙して出かけて行きます。ところが、町の片隅にあるお地蔵さんには誰も見向きもしないで通り過ぎます。それでも、そのお地蔵さんがあるとき急になくなったらやはり寂しいのではないか。それまでもちゃんと拝んでいたわけではない。しかし、なくなったらやはりすごく寂しいのではないか。そうすると、奈良の大仏と道端のお地蔵さんと、どちらに値打ちがあるのでしょうか。そして、自分は大仏のほうは無理だから、お地蔵さんになろうではないかということでした。

 今日、シンポジウムでビデオを皆さんにお見せするのでお電話をしてみたら、数日前からオランダに行っているそうでした。いまごろはオランダでこのような芸を見せているのではないかと思います。

 日本の大道芸は国際的です。