No.103 - 人文知コミュニケーターにインタビュー!工藤 さくら(くどう さくら)さん

国立民族学博物館 工藤 さくら(くどう さくら)さん

 

・ネパールとの出会い

 大学1年生の時に、文化人類学者でインドの研究をしている恩師の授業をとったのがきっかけでした。先生の界隈には結構元気な学生が多く、2週に1回テーマを決めて本を読みレジュメをきって発表する「自主ゼミ」という読書会に、関心のある学生が集まる機会がありました。自主ゼミで出会った人達と一緒にインドに行ったのが、ネパールと出会ったきっかけです。

 事前に色々なものを読んでインドというイメージを膨らませて現地に行きましたが、実際に行ってみると見えない部分が結構多くて、例えば家庭でどういったことが行われているのかなどですが、私達はお客さんであり、ツーリスト同様に先生にくっついて行ったので、本来の生活みたいなものが見えなかったフラストレーションがありました。そこで本当は時期的には良くなかったのですが、当時2006年にインドからバスチケットを予約して、そのままネパールに行きました。

 

・ネパールの様々な文化資源を研究しようとしたきっかけ

 2006年のネパールは共産党毛沢東主義を掲げるマオイスト人民戦線と国軍との内戦の最後の年で、首都カトマンズが最も荒れていた時期でした。実は先生からは「行くな」と言われていましたが、私の耳には入っていませんでした。どうやらインドからネパールに行く人が多いらしいぞということで、実際にネパールへ行ってみると、色々な所で外出禁止令が出されて「今日は外に出るな」と言われたり、町に出ると荒れた雰囲気を感じたり、帰る日にはバスターミナルで車が燃やされてストライキ状態になっているのを見たりと、とにかく尋常じゃない国の状態を体で感じて帰ってきました。

 無事に帰国して、「あれは何だったのだろう」と本を読み始めたことで、何も知らなかった自分に対して罪悪感が募りました。当時、内戦が都市部まで広がり、政治的な部分だけでなく人びとの生活にもかなり影響を与えていたことを知りました。そこから責任感というか、この国とどう向き合っていくべきか、ということで研究という手段を選びました。

 ヒマラヤ山脈を抱えるネパールは登山が人気で、日本人にとって人気の観光目玉の1つです。現地では日本人に会うことも多く、特に高齢の方がボランティアや旅行でいらっしゃることも多いのですが、現地の人達を見て「こんなに貧しくて可愛そう」、私達が何かしてあげないといけないという話をする方がものすごく多いことに違和感を感じました。私は、逆に、そんなに貧しいとは思わなかったのと、こんなに豊かな文化を持っているのになぜそこに目が行かないのだろうという疑問がありました。それで彼らの豊かな文化の部分を伝えられる人になりたいと思い研究をしています。

 

・研究の魅力

 色々な魅力の1つとして、社会階層としてのカーストのイメージは一見するとよくありませんが、祭や職業、日常の生計活動とも深く関わりがあり、そういったものがあるからこそ秩序良く社会が成り立っている部分もあります。私が最初に関心を持ったのは、お酒を造るための麹作りを専門とするカーストです。インドのカーストでは考えられませんが、私が研究対象とするネパールのネワール族(約130万人、全人口の4.6%を占める[2021年センサス]。カトマンズ盆地にその多くが居住)は、お酒を飲むヒンドゥー/仏教徒です。酒造りは年間通してお祭りや人生儀礼、結婚式、お葬式などですごく大事になります。それに準じた色々なカーストが存在し役割分担がされており、多様な文化的側面が見られるのが面白いと思っています。

 研究をしていて面白いのは、ネパールへ行く度に分からないことが増えていくことです。また、初めて行った時から今までずっと付き合いが続いている人達と、行く度に関係性がどんどん変わっていくことがすごく面白いと思います。もちろん今も他人であることには変わりなく、現在は行ったり来たりする身ではありますが、例えば調査先でお父さんが亡くなった、息子が成人儀礼をする、結婚式をするといった人生のイベントに対して継続的に関わっていく中で、お互いの関係性が少しずつ変わっていく。ただの他人ではなくなる感じはすごく面白いと思います。今では私は「ププ(母方のおば)」と呼ばれています。母方のおばには何でも言えて、子供との義務的なコミュニケーションがなく、一緒に遊び、あまり金銭的なことに左右されず付き合いが築けるポジションです。血縁的な家族ではないものの、そこは不思議な関係性で成り立っている気がします。親族内の出来事が今はよく見えますし、地域で行われている行事にしても、その家族と地域住民との関わりが異なって見えてきます。上手く言えませんが、関わり方が変わっていくのが面白いところです。

伝統的なネワールの4階建家屋。2015年大震災後は少なくなりつつあります。

 

・研究の課題や難しさ

 どうしても研究をするという意気込みで行くと、こっちは目的があって入るので、これは人類学者の誰もが抱く感情だと思いますが、自分と付き合いがある人達に喜怒哀楽や人生の節目となるイベントが起きます。こちらは研究の素材を探しに行き、あちらは1人の人間か外国人として私と付き合うわけです。まさかそれが論文となり出版されると思わないで付き合っている人が多いと思いますが、その中で自分が「何かネタを探す」というやましい気持ちを持ちながら付き合うのは、実は、すごく葛藤する部分です。特に親しくしていた知人が亡くなった時に、研究者であれば、それを論文にし、どのように儀礼が行われ、現代の文脈で例えばどのくらい変化しているのか、どのように社会的に位置づけられているのか等を発表したいと思いますが、私は正直そこは乗り越えられない人です。やはり関係のある知人であり、許可を取った上でやることが可能であっても、そういった場面にあえば自分も悲しいです。自分はそういうものを共有する方を優先するタイプだと思うので、何かを書く時にはすごく意識します。「これはどう扱うべきか」というか、ただ単に自分の業績に結びつけたくないので、そういった葛藤があります。今では日本語で書いても現地の人達は検索して読めますから、その辺の責任感も以前と比べて全然違うと思います。

 言葉の問題に関しては、語学の取得を目的に修士課程で休学をして9ヶ月ほどネパールへ行きました。語学に堪能な通訳ガイドたちが集まる茶店に通い、相手にされなくても毎日会話を聞き取り、家に帰って文法書で調べるというのをとにかく繰り返しました。ただ、言葉ができない状態で外国人女性が1人出歩くのは危険も伴います。ネパールでは人とのつながりがものを言う社会のため、現地の人にとって何のつながりもない状態の外国人女子1人は格好の標的です。現在の自分の状態だと本当の家族でなくても、家族の一員として「つながり」の中で扱ってもらっているので、私に対して変なことは公にはできません。このような家族の目があることでその人の行動は制御されます。人間関係の中で当たり前にしている行為だと思いますが、最初の段階では言葉が分からず、目を配り合うつながりもなく、関係性がそこまで深くないと、例えば思ってもいない場所やイベントに参加させられたり、変な要求をされたりなど嫌な経験がいっぱいありました。言葉が分からないこともそうですが、特に未婚の女性というのはすごいデメリットとして働いていたな、と感じます。他の地域でもそうかもしれませんが、フィールドワーカーあるあるかなと思います。

 言葉が分かり始めると、例えば自分についての説明がされる時に都合が悪かったりすると、口答えができるようになります。そうすると、不本意な出来事は減っていきました。言葉がちゃんと分かると出会う人も自分の意志で築けますし、自分が必要とする人にすぐたどり着くことができるのは言葉の面が大きいかもしれないです。

 今のネパールで研究をするにはネパール語がすごく大事です。勿論ネワール語という民族言語もあり、ネワール社会内ではネワール語の方がいいのですが、公用語のネパール語をしっかり話せると敬意を持って接してくれます。地方の村落へ行くと、ネパール語を話せない人達がまだいっぱいいます。

 コロナ禍の2020年、私は日本学術振興会の特別研究員(PD)として国立民族学博物館(以下「民博」)に来ました。立場としては外来研究員になります。2年間は全く計画していた調査に行くことができずフラストレーションでした。来阪当初4月の緊急事態宣言下に、外来研究員は「自宅に待機し、来館しないで下さい」という通達がありました。その後2年ぐらいは事前にGoogle Formで自分の来館日を伝えないと民博へ行けませんでした。そのため民博に来るにも後ろめたい気持ちで来ないといけなかっただけでなく、外とのつながりも絶たれた状態だったので本当にしんどかったです。

 コロナ禍の間にネットを使って調査をしていた人もいました。私もたまにネパールへ電話をしていましたが、お互いに調査とかそういった感じにはならず、それで自分は何も研究活動をしていないと思いながら過ごしていたと思います。

 やっぱり贅沢な話ですがフィールドワークを通して直に関わり合うのがいいのと、行き来している間に何か自分の中で消化できることもあるので、現地に行って中に入り込んでみて、帰ってきて少し遠くから見ることを繰り返す作業が自分の中でものすごく大事だったとコロナ禍で改めて感じました。

 

・人文知コミュニケーターを志願した経緯

 大学院の時に、ファシリテーターやキュレーターとして、学術大会の事務局運営や、旧「東北大学リベラルアーツサロン」という一般向けの授業の運営の仕事をするのがすごく自分に合っていると思っていました。そういった場で、講師の先生と相談しながら一般向けの授業などを組んでいく企画に関わる経験をしました。専門性を意識しながら、どうその場を運営していくかを考えるのが面白いと感じた経験が人文知コミュニケーターを志望した理由の1つです。

 2017年に東北大学がホスト校となり、国際比較神話学会が開催される時に事務局運営を任されました。ただ大学でやるだけではつまらないという事務局長のスタンスに共鳴したので、例えば1日目に仙台のお寺で学会の開会式をやりましょうとか、昼食場所を実際に歩いて案内地図をつくりましょうとか、バスをチャーターして東日本大震災の被災地へのエクスカーションを組んだりもしました。学会費用だけでは済まない部分が結構あったため、仙台観光コンベンション協会から助成金を取ってきたり、観光用パンフレットやリーフレットをもらいに行き、学会で使わせていただいたりするために段取りややりとりをする仕事がすごく楽しく感じました。1つ1つの仕事も楽しいのですが、人と人が繋がるというか、1つの出来事に例えば公的な補助金やお寺といった大学と普段つながりのないような場所とつながり、学術大会の参加者がそれぞれの専門性でつながり、交流が生まれるような場作りが面白いという経験が大きくありました。

 人文知コミュニケーターという仕事も私の中では基本的には人と人とをつなげる部分が大きいのかなと思っています。学者同士が共同研究をするだけでも大変ですが、学者同士がつながるだけでなく、特定の専門的な職業をする人達とつながって一緒に1つのプロジェクトをする。あるいは、現在の仕事で関わっているような社会連携事業では、子供達に民博のさまざまな資源をどう活用してもらえるかを一緒に考える、人との関わりで成り立つ仕事です。令和6年度には高等教育機関を対象に映像・音響や標本、学習キットなどの民博の資料の活用事例を検討・提案する事業に関わります。「この人達をつなげたら面白いんじゃないか」を企画立案するというふうに私は人文知コミュニケーターのを捉えていたので、そういった職種だったらやり甲斐があるぞと思った感じです。

 

・大学と大学共同利用機関での研究環境の違い

 民博は基本的には博物館機能を持つ研究機関であり、博物館は研究成果を発表する場という位置付けになるので、その意味で研究活動自体の大きな変化はないと思います。

 環境の変化としては、これは母校での経験が影響しているかもしれませんが、研究室があり、みんなが気楽に集まれる場があるかないかが一番の違いです。私のいた東北大学の宗教学研究室というのは旧帝国大学時代から続く古い研究室だったため、先生方も縦のつながりをすごく大事にしていました。先生から院生、学部生へと、研究室の歴史を通して縦のつながりが生まれるというのは研究室の魅力かなと思います。ここでは、先輩に色々なことを教えてもらい(2時間近く延々と説教を聞かされて大変なこともありましたが)、他の学生たちと研究の話をざっくばらんにできる。コーヒーを片手にフラットな関係で、耳学問をする面白さを知った場でした。

 民博には共同部屋はありますが、みんなが常にそこでコーヒーを飲むとは限らないので、あのような場がないのはたまに寂しくなります。たぶん何でもない会話からアイディアが浮かぶこともあると思いますし、私の恩師もそういうスタンスでしたので、やっぱりリラックスした状態でフィールドの話をしたりできたらいいなと思います。現地から帰ってきた直後に「発表して下さい」と言われても身構えてしまい、どう説明していいいか、自分が行っていたフィールドの面白さが見えなくて不安になることもあったので、そういった時に研究室のような所で気兼ねなく「こういうのを見てきた」といった話をしながら、これは面白かったんだなと自分を少し客観的に見たりできるのは貴重な時間だったんだと今は思います。大学の研究室の面白さはそこでした。

 

・人文知コミュニケーターとしての今後の取り組み

 これはまだまだ見えない部分があります。館の仕事としては、文化資源運営会議の中の博物館社会連携専門部会での人文知コミュニケーターということになります。例えば、民博に関心を持っている一般のボランティアさんがイベントの運営に関わる組織や、貸出用学習キット「みんぱっく」を使って小中学校といった教育機関への貸し出しをして、教育の機会に役立ててもらっています。

 他にも音楽の祭日といった定期的なイベントがあります。令和6年度中は予定が詰まっているので、私が何か新しいことを企画するのは難しそうですが、現在は高校生向けに民博の資料を活用してもらうためのデータを集めています。今年度は、これまでの館内の仕事を引き継いでデータを分析し、フィードバックをもとに最終的にどういった教育効果があるかとか、活用実例の紹介や提案を報告書としてまとめていくことになりそうです。

 

(聞き手:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)

 

工藤さくら(くどう さくら)さん
国立民族学博物館 特任助教
2019年東北大学大学院人間科学専攻・宗教学で博士号(文学博士)を取得。東北大学東北アジア研究センター・プロジェクト研究員(災害人文学)、日本学術振興会特別研究員(PD)、国立民族学博物外来研究員を経て現職。専門は宗教人類学、現代ネパール研究。